理想の生き方 正しい自己表現の仕方

自分のアイデンティティー(正体)が分からなくなった事ってありますか?

私はカナダから日本へ帰国して、自分のアイデンティティが分からなくなった事がありました!
今回は、自分の実体験を元に自己表現の仕方についてのお話をしていきます!

日本人を演出する自分

突然帰国する事になった私。自分が何者なのか?日本人なのかカナダ人なのか?ここ日本で、自分をどう表現すれば良いのか分からなくなった私は、ありのままの自分を皆んなに見せるのではなく、日本人の様に演技する事を選んだのです!

全く同感しない事にも、「そうですよね〜」と言い、いかにも自分も同じ意見かの様に振る舞いました。
自分の意見は全く言わず、只々大人しく笑っている自分を演じました。
そんな事を2年程続けていたと思います。

その結果、無理をしている自分、本当じゃない自分を演技する事に疲れ果て、自分のアイデンティティが分からなくなってしまったのです。

「私は日本人にはなれない 日本人でありたくない でもカナダ人でもない カナダ人にもなりたくない」

あれから6年、ここ日本で自分をどう表現するべきか!? 無理せず本来の自分をどう見せるべきかについて、私がカナダと日本で学んだ、文化の違いや、考え方の違い、違った風習を知る事で、どの様に乗り越え、どの様な結論にたどり着いたかについて、今日はお話していきます。

15年間のカナダ生活

私は、25歳から40歳までの15年間を、カナダで過ごしました。
25歳まで日本にいましたので、言語や、ベースとなる知識や常識は日本で培ったものです。

しかし、大人として一番色んな事を吸収する期間を、文化や生活環境が全く異なる北米で生活したわけです。
最初は戸惑い、試行錯誤しながらの生活でした。

日本とは、真逆と言っても過言ではない考え方の違い!今までの常識は全く通じない世界!
カナダという国は、移民の国、異文化交流の国。300年にも満たない新しい国。
色んな国の人が集まり、それぞれ違った生活習慣、違った文化、考え方、風習、そして違った宗教を持っているため、国として一般常識と言うものが何なのか分かりにくくなるのです。
つまり、「その人が思う常識」が常識になるのです。私の常識は、あなたの常識ではないんです。

特に宗教が違うので、違った考え方や風習はそれぞれが理解し合って生活していかなければいけないのです。
これが日本とカナダの最大の違いかもしれません。
カナダと似た様な移民の国の代表として、アメリカ、オーストラリアなどが有名です。

この文化や宗教などの違う人種が共に同じ街、国で生活をするわけですから、日本の様にみんなに合わせて生きていかなければいけないという概念は存在しないんわけです。

そんな長いカナダでの生活の中で、カナダの良い所、悪い所、日本の良い所、悪い所、両方を学びました。

しかし帰国してからは、「いったい自分は誰なのか?」 「何になりたいのか?」
という、意味不明の戸惑いに惑わされる期間があったのです。

日本の嫌いな風習

文化だから、歴史だからしょうがない!と思ってはいる。でも、なかなか好きになれない日本の風習。
私が20代前半の頃に、どうしても嫌いだった日本の風習と、帰国後再び向き合う事になったのです。

日本を出るきっかけとなった第一の理由、それは、同調圧力。

当時私は、駆け出しの美容師。そして、当時の美容室は、謎の超長時間労働。
ひどい時は15、6時間、週5、6日の勤務でした。
2、3年はカットが出来るわけでもなく、自分が担当するお客さんはいないわけです。
『修行』と言われる期間の1年目は、ほぼ雑用とシャンプーのみ!
2年目でカラー剤の塗布やパーマを巻く作業などが出来る様になり、これを2年も3年もやり続けるのが修行なのです!

この謎の「修行」を耐える事を、最大の” 美 “と信じて止まない日本の社会に、正直言って嫌気がさしていました。

超人的な体力があったわけでもない私は、休みの日は遊びに行く気力も体力なく、ひたすら身体を休めていました。考えれば考える程、この生活に意味があるのかどうかが分からなっていきました!

全く楽しくない生活。身にならない修行。
ストレスと不満ばかりが積み上げられていきました。

しかし、周りはこれを普通と呼ぶ!
世界中のどこの国でも聞かない、日本だけ特殊な「過労死」という文化!
その過労死で命を落とす人が続出しているのにも関わらず、人々は、普通だと思い込んで生きている。
実は、私の従兄も過労死の犠牲となりました!

私にはこの日本の風習が全く理解が出来ない。合わない。と思っていました。

しかし日本人は、先輩が普通だと言えば、自分も普通だと言わなければなりません。
隣の人が普通だといえば、その隣の人も普通だと言わなければなりません。

私はこの同調圧力にどうしても耐えられませんでした。

その同調圧力、15年後に帰国した時も、根強く残っていたわけなんです。
自分のアイデンティティを自由に表現出来る様な世の中には、程遠い事を目の当たりにしたのです。

そして、再びその同調圧力と向き合う事になった私は、「女優」になる事を選んだのです。

アイデンティティ

自分のアイデンティティが分からなくなった私は、女優として演技をし、自分が全く思ってもいない事も、適当に相手に同調し、無難に済む中身の薄い、ペラペラの会話を周りの皆と交わしていました。

そうするとどうなるかというと、ぺらぺらの人間関係しか生まれない事に気づいたんです!
それでも、日本人との人間関係の築き方が分からなかった私は、その演技を続けました。

カナダにいた頃は、周りの人々が表現力豊な人が多く、手足をフンダンに使って自己を表現する事に慣れていました。英語自体がイントネーションがしっかりしているし、自分の意見をしっかり言う文化なのです。
周りの人々も、例え相手が自分と違う意見だったとしても、それを尊重した上で、自分の意見を主張します。
このコミュニケーションの取り方がいわゆる普通という感覚なのです。

日本人はその真逆で、余程仲の良い人でない限り、自分の意見を主張する事は少なく、ポーカーフェイスで会話をする事が多い気がします。つまり、特に反対意見の時は、自分の気持ちを顔に出す事はほとんどありません。なので、相手の気持ちが解りにくく、本当にそう思っているか解らない事が多かったのです

カナダに行った時も同様、『郷にいれば郷に従え』という言葉が私の頭の中にあったため、日本に帰国したからには、周りの日本人に合わせなくてはならない。と思っていたんです。

しかし、このやり方は自分にとって、間違ったやり方だったという事に、後々気付くのです。

このままだと、日本人であるけど日本人ではない、カナダ人ではないけど中途半端にカナダ人の様な人になってしまう!自分のアイデンティティっていったい何なんだろう?自分っていったい何人なんだろう?
この様な葛藤に苦しむ事になりました。

結論としては、ちょっと変な日本人!なのですが、このフワフワした落ち着かない感じが、とても心地が悪かったのです。

自分との話し合い

例え日本人っぽく演技をしていたとしても、それを納得した上で、自然に出来ていれば問題はなかったはずなのです。

しかし、私は自分を隠して生きていかなければならないという、謎の固定概念に自分を苦しめていたんです。
つまり、言いたいけど、言わない。言えないのではなく、言わないという事に対してのストレス。
そして、興味のない話や、全く同感しない意見に対して、ヘラヘラ合わせている自分に対してのストレスを感じてしまう様な演技の仕方をしていた事に気づいたのです。

「それならば、ここ日本で、どうやって自己表現をすれば良いのか?」について考えました。

自分はどうしたいのか?どうあるべきか?
自分に問いかけてみました。

: 他人を気にせず自分の意見を言いたい
: 他人の反対意見を気にせず、それはそれで尊重して受け流す
: 無理に人に合わせる必要はない
: 文化や風習にこだわり過ぎない
: 日本の常識に囚われ過ぎない
: 日本人とかカナダ人とかはではなく、人として向き合う
: 自分の意見を押し付けてくる人とは付き合わなければ良い
: 自分と合わない人とは距離を置けば良い

そして何よりも、自分が自分であるために必要な事に気づいたのです!
それは、自分で自分をコントロールする事!

・ ストレスを感じる環境を離れて、幸福を感じる環境を自分でクリエートする
・ 自分の好きな人たちとの交流を大事にする
・ 自分と合わない人たちが寄ってこない状況を生み出す
・ 自分が会いたいと思う人物像を思い浮かべて引き寄せる様にする

正しい自己表現の仕方

結局の所、自分をどう表現するか?の結論って、

自分自身の存在を認めて、素直に自然に生きる事

これに尽きると感じました。

自分に自信がないという感情があると、自分をよく見せようとして演技をする事になってしまいます。
よく見せようとして演技をするという行為自体が、自己否定をしているのと同じ行為なのです。

でも、自分に自信がないという気持ちって、自分に厳しいから湧き上がってくる気持ちなのです。

私自身、日本の皆様に迷惑が掛からない様にするため、自分に災難が降りかからないための不器用な努力だったわけで、決して自分が他人より凄く劣っているだとか、ダメな人間だというわけではないのは自覚があったわけです。

ただ、ありのままの自分が、この日本社会で受け入れてもらえるかどうかが不安でやっていた間違った努力だったのです! 今思えば、わざわざ自分が心地悪いと思う行為を自ら選んで実践していたわけですから、上手くいくはずがないと思うのですが、その時は、それに気づかずにいました。

人には合う人、合わない人がいます。私は合う人を引き寄せ、合わない人とは出来るだけ交流を持たない様にするというやり方が自分に一番合っていると感じました。

会社勤めをしていると、合わない人とも一緒に仕事をしなければなりません。
なので私は、その会社勤め自体をやめました。

これからは、自分の好きな人、信用できる人と一緒に働きたい。
自分が助けたいと思う人、自分を頼ってくれる人の役に立ちたいと心から思っています。

自己表現をする時の自分ルール

: 反対意見を言う時は、相手の意見を尊重した上で述べる事
: 相手の意見を否定せず、一意見として捉える
: 自分の意見を言う時は、「自分はそう思う」けど、違う人もいるかもしれないと言う事を表現する
: ネガティブな意見を言う時は、出来るだけ笑いに変える(ネタっぽく)
: 自分の意見は100% 正しいわけじゃない事をわきまえる
: 自分の意見を押し付けない
: 明らかに道理が通っていないと思う意見に対しては、「それは違う」とはっきり言うか、
  何も言わなかのどっちかに振り切る。
   (その人物の人柄による。絶対自分の意見を通そうとする人には何も言わない。言えば解りそうだと
  思った人には感情を入れずに伝える)

自分らしく、あるがままの自分を表現して、心地の良いコミュニケーションを取るのってなかなか難しい事なのかも知れません。

ストレスなく自然に自己表現するには、まずは自分に自信を持つのが第一条件です。
自分に自信がない状態。自分が間違っているのではないかと常に自分を疑っていては、素直な自分の意見は言えません。

自分に自信を持つという事は難しい事なのかも知れません。しかし、完璧な自分像こそか自信を持つ源であると思うと、一生自信なんて持てません。
完璧な自分じゃないと自信が持てない、のではなく、優しい自分、人を気遣っている自分、頑張っている自分に自信を持ちましょう。

人とコミュニケーションを取る時、謙遜しすぎるのも相手を不快にさせてしまいます。
自分の意見もはっきり言いつつ、相手の意見も尊重する。

それを心がけるだけで、心地の良い会話のキャッチボール出来て、気持ちよくコミュニケーションが取れる様になります。

何よりも自分に正直になって、自分を認めてあげて、自分の素直な気持ちを口に出す

これが出来る様になれば、あなたも自己表現マスターになれちゃいます!
今回のお話があなたの人生にほんの少しでもお役に立てれば幸いです。

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